Serendipity 〜幸せをみつける力〜

serendipity (n) finding something good without looking for it

生きる

私が小学生の時からのテーマです。

「人はどうして生きているの?」と誰もが1度は思ったのでは?

 

私が小学生だったか、中学生の頃。祖母から、私の祖父は新婚1年目で母が生まれたばかりの頃に戦争で他界したのだと聞きました。戦地から届いた手紙には「祖母のぼた餅が食べたい。」と書いてあり、手紙は今も大事に持っていると。

 

高校生の時。私が生まれる前に兄が2人事故で0歳と4歳の時に他界したことを知りました。

 

22歳の時。突然父が入院し、末期ガンで余命1ヶ月だと知りました。

 

23歳の時。看護学校を受験して、看護学生になり、色々な実習先で色々な病気と向き合う方々に出会いました。末期ガンのお母さんの顔を今でも覚えています。「息子たちは留学していたり、自分のことを頑張ってるからなかなかお見舞いには来れないんだ。」と話してくださいました。

 

25歳の時。看護師国家試験に合格し、看護師になり、様々な方々の人生や家族に寄り添わせていただきました。白血病で夜中高熱が出て苦しんでいたお父さん。「(今日の夜勤が)あなたでよかった。」と言っていただいた時、私に何ができるだろう。もっと何かしてあげたい。と思いました。

 

30歳の時。結婚しました。5年間子供がいなかったからか、不妊で悩むお友達から相談を受ける様になりました。今まで想像もしない世界を知りました。

 

35歳の時。命の芽生えをこの目で見て涙が出ました。子供をなかなか授かれない方々に寄り添うお仕事をはじめました。

 

38歳の時。小学生の姪が突然、脳内出血で他界してしまいました。

 

40歳の時。家族ではないけれど、一番仲の良い同期の待望の赤ちゃんが、産後数時間で他界してしまいました。ご夫婦が一番辛かったはずですが、私も涙が止まりませんでした。

 

私はまだ生きています。

「人はどうして生きているの?」

今、思う答えは「ただ生かされている」ということです。

簡単にこの世を去ってしまうこともあれば、

簡単にはこの世を去らせてくれないこともあります。

人生の長さなんて誰にもわかりません。

 

では、生かされている時間をどう使うか?

これが人生のテーマなのかと思います。

 

今日1日の限りで生きる!と日々全力投球の方もいれば。

死ぬまでの暇つぶし。と肩の力を抜いて生きる人もいれば。

日によってどちらとも兼ね備えていたり、どちらともまた別の人も。

 

大切な人の命を失うことは悲しみの沼に溺れる感じです。時間に癒されることはあっても、消えてしまうものではありません。

 

わざわざ人に話す出来事でもなく、いつもは心にしまっておく出来事です。

ここに書いてみようかな。と思ったのは、

 

もう1度、「私は何の為に生きているのか」見つめ直す機会になったら。

もし生きることに悩んでいる人がいて、何となくこんな風に生きている人もいるんだな。と思っていただけたらな。という理由からです。

 

この世に生まれる時も、去る時もひとり。

生まれてきた時の記憶はないけれど、去る時はやっぱりきっと悲しい。

普段は何気なさすぎて気がつかない人もいるかな。生きることへの執着。

人生が終わる瞬間、生きることへの執着が出ない人なんているのかな。

100年生きたら執着はなくなるのでしょうか。

 

読者の方には、私に対して性別や年齢の先入観を持って欲しくないと思っていましたが、かなり想像出来ちゃいますね。笑

 

子供でも大人でも、男性でも女性でも、どちらでもない方も、皆さんの人生が彩り豊かなものでありますように!